我が子のために何ができるか

我が子の誕生

私たちの子どもは、超低出生体重児として生まれました。

677gのとても小さな小さな赤ちゃんでした。

 

産声は一度だけ。

とても大きく、元気な声だったと妻は言います。

生きて産まれてくれたことが、我が子からの最初の贈り物でした。

 

それでも、やっぱり不安で、保育器に入って運ばれていく赤ちゃんを見て、思わず「先生、生きていますか?」と聞いたそうです。

早産のため身体機能が完全にはできあがっていない状態だったため、そのままNICU(新生児集中治療室)に入院しました。

 

呼吸器系の機能が不完全なため自発呼吸はできず、気管に直接酸素吸入のためのチューブを通し、肺に直接酸素を入れます。

消化器官も不完全なため、母乳以外は臓器が壊死する危険があり、与えることはできません。

心臓機能も、視覚機能も、聴覚機能も……小児科の医師からは危険な状態が続くことについて、丁寧な説明を受けました。

 

その日から、妻は母乳を届けることが日課になります。

早産だと母親の身体も母乳を出す準備ができていないため、なかなか思うように母乳は出ません。

もちろん、個人差はあるのでしょうが、出産直後は疲れも緊張もあってか、特に母乳の出が良くありませんでした。

 

そんな中でも数時間置きに注射器に一滴一滴吸い取り、数ミリ単位の母乳をNICUで待つ息子のもとに届けます。

たった数ミリでも、粉ミルクの飲めない赤ちゃんには貴重な「ごはん」です。

 

健常に生まれた赤ちゃんに、お母さんたちは生まれたその日から母乳を与えますが、妻も同じです。

夜中でも目覚ましをかけて決まった時間に起き、搾乳を続けました。

 

産科を退院してからは片道1時間をかけてミルクデリバリーが続きます。

酸素吸入器が気管に直接挿入されているため、息子は母乳を哺乳瓶から飲むことはできません。

経鼻管といって鼻から胃に直接チューブを入れ、管から直接与える日が続きました。

 

さらに、保育器に入ったままなので、面会はできても抱っこすることはできません。

ようやく妻が我が子を抱っこできたのは、生まれてから1か月後。

保育器の交換に偶然立ち会えた日でした。

 

通常、保育器の交換は赤ちゃんの体が冷えないように、手早く行われます。

交換の時間にたまたま面会に訪れた妻のために、看護師さんたちのご厚意で実現した出来事でした。

 

機械音が鳴り響く中での、緊張感あふれるたった30秒間の抱っこ。

 

しかし、それは、いろいろな想いにとらわれていた妻の視界がサッと開けた瞬間でもありました。

 

息子を小さく生んでしまったことに対する罪悪感。

何らかの障害が残るかもしれないことへの恐怖感。

中途半端な形で仕事を休職せざるを得なくなったことへのどうしようもない苛立ち。

社会とのつながりがたたれてしまったと感じる中での、病院と自宅とを往復するだけの日々。

 

さまざまな感情が渦巻き、マイナス思考におちいりがちだった妻を救った、小さな小さな息子のぬくもり。

 

その日、妻は久しぶりの心からの笑顔で、初めての抱っこについて本当に嬉しそうに話してくれました。

我が子の成長

NICUの看護師・医師の皆さんの献身的なケアのおかげで、息子は3か月の入院を経て無事に退院しました。

 

本当に入院期間中の医療関係者の方々には感謝の念しかありません。

仕事とはいえ、毎回の排尿・排便まで重さや色、形についてすべてデータを記録。

授乳前後の体重の変化を記録し、入浴中の酸素濃度変化も見逃さない。

 

初めての抱っこ、初めてのオムツ替え、初めてのお風呂、初めてのミルク、初めて産着を着せたこと。

じつは、小さな赤ちゃんたちは保育器の中ではオムツだけを身に着けています。

チアノーゼの反応を見逃さないために、産着は呼吸の安定した子だけが着せてもらえるのです。

その年の妻の手帳には、息子の「初めて」がたくさん載っています。

 

初節句も病院で迎えたので、何もお祝いをしてあげられなくて残念に思っていたのですが、

NICUの看護師さんたちがかわいらしい兜を作ってプレゼントしてくれました。

 

医療行為に忙しくても、赤ちゃんとその家族に向き合う真摯な姿勢には、本当に頭が下がります。

私も妻も、看護師・助産師さんたちの何気ない声がけや贈り物にずいぶんとホッコリさせてもらいました。

 

入院期間中、妻は一日も休まず息子に会いに行きました。

その最終日、もう二度と入ることはない、入出が厳重に管理されたNICUの扉を出て、私たちは深々とお辞儀をしました。

 

病院の玄関を出て、用意したチャイルドシートが大きすぎたというハプニングも、今では懐かしく思い出します。

チャイルドシートは2100g以上の新生児を対象につくられており、2000gに届かず退院した息子には少し大きめだったのです。

車止めの場所で、30分以上かけてタオルで座高を調節し、無事に自宅までの道のりを安全にドライブしました。 

 

自宅に帰ってきてからも、息子には酸素吸入器と体内の酸素濃度測定器、心拍数をはかる機械が付いたままでした。

退院はしたものの、たまに自発呼吸をサボるクセがあり、体内の酸素濃度が下がり気味のための処置でした。

そのため、週3日、訪問看護の看護師の方が息子の体調変化を診てくださいました。

 

妻はもともとフルタイムで働いていましたから、急な出産・看護の日々に戸惑いもあったかと思います。

私の仕事の無い日は親子で出かけるよう努めていましたが、外出には酸素ボンベが必要です。

大きめの消火器をイメージしていただければ分かりやすいのですが、携帯用酸素ボンベはとにかく重いのです。

特に女性一人でベビーカーに酸素ボンベ、測定器、お出かけセット、赤ちゃんを乗せて気軽に散歩に出るのは難しい状況でした。

 

さらに、妻は病院で息子の酸素濃度が急激に低下する現場に居合わせたことがあるため、緊急時の対応に敏感でした。

かかりつけ医のいるの病院から1時間圏内の場所にしか外出をしたがりませんでした。

自宅の周りを散歩するにも重い酸素ボンベは必須です。

その準備が億劫になり、自然と外出ができない日々が続きました。

 

しかし、妻の鬱々とした日常も、息子の健やかな成長と共に変わっていきます。

 

急に熱を出したりしたことは何回かありました。

そのたびに焦って訪問看護の方に電話をし、自宅まで様子を見に来てもらったりしました。

 

それでも、幸いなことに、息子には心配していた心臓系や呼吸器系の疾患は残らず、

徐々に自発呼吸をサボるクセもなくなっていきました。

1歳の誕生日を迎え、さらに桜の花が咲くころには呼吸器を外す許可も下りました。

 

普通に生まれた赤ちゃんよりも少しゆっくりしたスピードで、けれども確実に成長していきます。

首が座り、お座りが出来るようになり、ハイハイが始まり、つかまり立ちをします。 

なかなかできなかったタッチも、保育園入園後2週間ほどできるようになりました。

タッチができると、すぐによちよち歩きが始まり、あっという間に歩くようになりました。

ことばの発達は少し遅めでしたが、けらけらとよく笑う子供に成長しました。

我が子の食生活

息子の離乳食開始は通常の3か月遅れで始まりました。

早産で生まれた子には「修正月齢」という考え方があり、元々の出産予定日に合わせた月齢で発育の様子を見ていきます。

 

通常、健常に生まれた赤ちゃんの離乳食開始は、生後5か月ごろとされています。

それに対し、息子の離乳食開始は、生後8か月ごろから始まりました。

消化器官系の発達、自発呼吸の安定等、いろいろな課題をクリアしての開始でした。

 

もともと、出生時に医師から息子には母乳しか与えられないとの説明を受けたときから、妻の食事内容に気を配ってはいました。

なぜなら、母乳は母親の体内で血液をもとに作られます。

血液のもとになるのは、母親が口にした食べ物の栄養分です。

母乳の質を良くするためには、母親の摂る食事の質を良くしなければなりません。

母乳だけが息子の栄養分である以上、それはことさらに求められていると考えていました。

 

その際につちかった食材探しの知識と、栄養士・料理人としての調理面でのアドバイス。

「無添加はからだにいい」とは言っても、その原材料が安心・安全な素材でなければ意味がない事や、

食品添加物の何が危険かなど、持てる知識はすべてフル活用しました。

 

離乳食はすべて手づくりしました。

化学調味料は使わず、出汁を取り、素材の味を活かした薄味を心がけました。

栄養のバランスを取るために、自然の甘さのやさしい味の野菜のポタージュを作りました。

 

お肉を食べられるようになってからはひき肉は使用せず、全て手切りで細かく挽きました。

プレーンヨーグルトや納豆などの発酵食品も積極的に摂らせました。

幸い、食品のアレルギーはありませんでしたので 、様々な食材を離乳食期に摂らせました。

 

今でも、息子の朝ごはんには必ず昆布とカツオの出汁からとった味噌汁を出します。

ポタージュが好きだった名残りか、具材の入っているスープは好みではないようです。

そのため、本当に出汁と味噌が入っただけの「味噌スープ」です。

 

3歳までに食べたものが生涯の味覚を決めると 聞いたことがありましたので、

市販のお菓子も極力与えないよう、祖父母にも協力を求めました。

妻はそのためかなり苦労をしましたが、子供のためのやさしいおやつを作れるようになりました。

松かたシャルキュトリーの想い

息子が生まれたとき、私たちの頭の中にあったのは、ただ生きていてくれればいいという想いでした。

今思い返しても、息子の身体に何の疾患も残らず、ゆっくりでも、すくすくと順調に育ったことは奇跡です。

 

もちろん、周りの環境にも救われました。

祖父母と同居している環境が、息子の情緒面での安定に大きな影響を与えていると思います。

発達に遅延が見られた時も、妻は仕事を辞めて息子と一緒に3年間、児童発達支援センターに通いました。

そうした日々の積み重ねの上に、今の息子の姿があります。 

 

では、私は父親として息子に何ができるでしょうか。

私は料理が好きです。料理を食べている人の笑顔が好きです。

大切な人のために美味しいものを作りたい、美味しいものを食べて笑顔になってほしいと思っています。

 

そうして、改めて、息子のために自分の好きな食の分野で貢献できないかと考え時です。

 

私は地域の食材をつかった創作肉料理を提供する店を開いていました。

1日1組限定の、お客様のご要望に合わせたメニューを提供する店でした。

ご家族の大切な記念日や、気の置けない仲間との集まりによくご利用いただいておりました。

あるとき、店で提供していたソーセージの持ち帰り需要が高いことに気が付きました。

はじめのうちは、単純に法律上の問題で販売はできないと理由も聞かずにお断りしていました。

 

しかし、あまりにもみなさまが持ち帰りたいとおっしゃるので、理由をおたずねしました。

すると、「家族にも食べさせたいので販売してほしい」とおっしゃるのです。

 

店で提供していたソーセージは、顔の見える生産者から豚を一頭買いし、一頭すべての肉の部位を使用してつくったものでした。

牛博士と呼ばれる畜産の名人が、「他のは食べれないが、これはうまいソーセージだ」と褒めてくださったこともあります。

 

もちろん、好き嫌いがありますから、万人受けするものではありません。

年配の方の中には、脂の量が多すぎるとおっしゃる方もいらっしゃいます。

 

しかし、手間をかけてじっくり育ったふくよかな豚は、甘い脂と肉自体の旨味が一体となり、複雑で立体的な味に仕上がります。

シンプルな味付けのみ、余計な調味料の必要のない、素材の味で勝負ができる豚肉からつくられています。

我が子に食べさせても安心・安全と思えるソーセージをつくりたいと願い、開発した商品です。

 

677gという小さな体で生まれた息子が大きな病気をすることもなく健やかに成長している最たる理由は、

毎日のきちんとした食事だと考えています。

 

こどもに限らず、人間の身体は毎日食べるものの蓄積で成り立っているのです。

 

残念ながら、この現代社会で暮らす以上、化学調味料や添加物を一切摂らない食生活を一生続けることは不可能に近いことです。

しかし、だからこそ、どれだけ余分ものを体に入れないような食事ができるかこそが重要ではないでしょうか。

 

松かたシャルキュトリーの商品は、息子の健やかな成長のために何ができるかを真剣に考えた、栄養士の父がつくった商品です。